2009年10月20日火曜日

034 ナンディスワラの寄付のしかた(4)

銘板や台座づくりが順調に進んでいるのを確認して、一度日本に帰り、数ヶ月してまた戻ってみると、すでに堂々たるナンディスワラが階段を挟んで屹立し、44名の名前を記した銘板が台座に嵌め込まれていた。
階段の両脇には、立派なナーガ(蛇の神様)が、これもほぼ完成して波打っている。どちらかというと、ナーガのほうが大きくて目立つので、ナンディスワラの存在感を食ってしまっている。
ナーガは誰が寄付したのだろう、と変な予感がして、マデに聞いてみると、これは余ったお金でつくった、ということだった。つまり、将来バライ・クルクルでもつくる時に使おうと思っていたわたしたちのお金が、知らない間にナーガに化けてしまった、というわけだ。
こういうのは、よくあることで、ここで怒ったりすると人間性を疑われることになる。これで村のみんなが嬉しいのであれば、そりゃあよかった、と思わなくてはいけない。
この立派なナンディスワラとナーガは、やがて数ヶ月と経たないうちに、苔むして堂々たる風格を放つ存在となった。アピアピにお客さんが来るたびに、お寺に連れていって台座の銘板を見せ、「ね、ここにわたしの名前があるでしょ?」などと悦に入っていたものだ。
これで、ナンディスワラの顛末は一応落着するのであるが、実はさらに後日談がある。
お寺の境内では、小屋を改築したり、未完の彫刻を完成させたりして、全体をリニューアルさせる事業が進んでいたのだが、それらが一段落した機会に、大々的にお祭りが挙行された。ちょうど運悪く、わたしはその時日本にいて、あとで様子を聞かされた。
そこに招待されたギヤニャール県だかバリ州だかの偉い人が、われわれのナンディスワラの台座に眼を止めて、「このように名前を書くのは、いかがなものか」と文句を言ったのだそうだ。ペネスタナン村の人たちは従順で信心深い農民である。それで、すぐに銘板をはずして、かわりに花柄をあしらった黒い石板を嵌め込んだ。
「隣のお寺の入り口には、スハルトの娘の名前が記してあるではないか」とは言わなかったらしい。
マデのお父さんも、僧侶のマンク氏も名前を残すように薦めてくれたのに、あれは何だったのだろう。それに、スカワティの棟方志功の仕事も、無駄にしてしまった。
しかし、毅然たる宗教秩序の前に、文句を言うわけにはいかない。まあ、これもよくあることだ。それで村の人が安心するのなら、そりゃあよかった、と思わなくてはいけない。
苔むしたナンディスワラとナーガは、ちゃんと残ったのだから。

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