2009年6月25日木曜日

001 バリ島に家を建てた


バリ島に家を建てた。16年ほど前の話である。

住み着くためではない。ときどき滞在するのが目的である。
集落のはずれのカヤ畑を購入して、10本の椰子の木の柱を立て、茅葺きの大屋根を乗せて、ふたつの部屋をつくり、その前に広いテラスを設けた。

村の若者に頼んで、維持管理をまかせた。

あれから、ひと昔半ほどの年月が過ぎた。当時のインドネシアは、スハルト大統領の全盛時代だった。その後ハビビ、ワヒド、メガワティ、ユドヨノと変わり、その間に直接選挙制に移行し、さらにそれから5年が経ち、今夏は2回目の大統領直接選挙が行われる。バリ島はテロに2回見舞われ、世界で30万人の死者を出したスマトラ島沖地震からも、5年経過した。

管理人の若者も結婚し、3人の子供をつくり、立派な中年となって、いまは彼の両親とあわせて7人の家族がわが家に住んでいる。

インドネシアだけではない。当時の日本の首相は細川さんだった。あれから数えてみると今の麻生さんで10人目である。その間に、サリン事件や阪神淡路大震災がおこりリストラが日本語化し、本州と四国が橋でつながり、各地にドーム球場ができ、駅の改札はすっかり自動改札となり、電話は携帯の時代となった。・・・などとあげ始めるとキリがないほど、いろいろなことが変わった。

こんな振り返り話しにつきあっている暇はないでしょうから、バリの家の話しに戻す。
バブルの余韻の残る浮いた気分の時代だったので、あんな能天気なことができたと思うのだが、家を建ててよかった。なにはともあれ、おもしろかった。
家の名は「API-API(アピ・アピ)」。インドネシア語で「蛍」の意味。

API-APIの前は一面の田んぼである。

そこで朝ご飯を食べていると、前のあぜ道を鴨が隊列を組んでひょこひょこ歩いていく。集落の中のどこかで寝ていたのが、田んぼのお仕事に出勤していくのである。一日そこで過ごし、夕方になると、これも人間に追われているわけでもないのに、自分たちで帰っていく。

日が沈むとたちまち真っ暗になる。釣瓶落としである。満天の星空の下で、ホタルが飛び、カエルやコウモリやヤモリの鳴き声にまじって、はるかどこかからワヤン・クリッ(影絵芝居)のかすかな、しかし朗々とした語りの聞こえてくることがある。

「バリでは時間がゆっくり流れる」というのは嘘ではないと思うが、どうもそれだけではない。バリの空気にはなにかがぎっしりと詰まっている、という感覚は訪れた人が共通にもつ感覚だ。その濃密な空気の中を、比重の重い時間が、悠々と流れるのである。


さて、これから、このひと昔半の間に巡り合った人たちのことや見聞したことを、思いつくままに書いていくことにする。
バリの面白さや濃密さやずっしりした時間の流れを、みなさんにお届けしたい。

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