API-APIの管理人の名前は、“マデ”君という。
以下は、マデのお父さんから聞きだした話し。
バリ人の名前の付けかたは、とてもシステマチックである。いわゆるカースト階級の中での位置と、家族の中での位置によって、半ば自動的に名前が決まる。
“イダ・バグース”が名前の最初につくと最高階級のブラフマーナ。“アナック・アグン”から始まるのは2番目のクシャトリア階級。“グスティ”や“デワ”から始まるのはその次のウェイシャ階級。最後のスードラ階級ではとくに階級名をつけない。“サング”から始まるのは3番目と4番目の中間なのだそうだ。
カーストは今ではほとんど社会活動の規範にはなっていないらしい。インドとはちがって、バリのカーストは「社会的役割分担だ」という人もいる
島一周をしようと運転手さんを雇ったら、やってきたのが“イダ・バグース”氏だった。マデと仲良く案内をしてくれて、ふたりの間に特に緊張感があるようには見えなかった。会ったときに「お名前は?」と聞いたら、少し誇らしげな顔つきで「イダ・バグース・何某である」と名乗ったのが、そういえば印象に残っている。
人口の9割以上を占めるというスードラの場合の名前の付け方はこうである。
男は最初に“イ”、女は“ニ”をつける。その次に、生まれた順番の名前をつける。これにはおおよそ3通りのシリーズがある。<A>1番目の子供はワヤン、2番目はマデ、3番目はニョマン、4番目はクトゥ、<B>同様にプトゥ、カデ、コマン、<C>グデ、ヌンガ、ニョマンまたはコマン、クトゥ。
いずれも、性別に関係なく生まれた順序で命名する。名前が足りなくなると最初に戻る。この2点が太郎、次郎の体系と異なる。
<A>は主にスードラ階級で用いる。ギアニャール、クルンクン、デンパサール地域が中心。<B>はスードラ以外の階級でも用いる。もともとはシンガラジャ、ヌガラ地域が中心。<C>もスードラ以外でも用いる。カランガスム、バングリ地域が中心。今ではどの系統を採用するかは、親の趣味によるらしい。現在は<B>が多くなったという。マデの息子も、ワヤンではなくプトゥである。ただし、複数のシリーズが混線することはないので、プトゥの妹はカデ、その弟はコマンである。
最後に、固有の名前をつけて完成。ファミリーネームは使わない。マデはイ・マデ・テギ、息子はイ・プトゥ・トリスタンである。普通は、呼ぶときにこの固有の名前ではなく、生まれ順の名前を呼ぶ。従って、マデはテギではなくマデである。「どこのマデか?」と聞かれたときにはじめて、「マデ・テギだ」「ああ、そうか」ということになる。息子のことはトリスタンと呼んでいるが、固有の名前を呼ぶのが最近の流行なのか、それが子供のうちだけで、そのうち大きくなるとプトゥと呼ばれることになるのかは、よくわからない。ついでにいうと、トリスタンというヨーロッパ的な名前の名付け親は、近くに住んでいたスペイン人画家の故アントニオ・ブランコ氏である。
マデの奥さんはニ・マデ・スリニンシー。初期の頃の我が家のお手伝いさんはニ・マデ・ラトゥナといった。マデのお父さんはイ・マデ・ルンブン、お母さんはニ・マデ・レピ。従って、一時家には5人のマデがいた。私はマデのことを「マデ」と呼ぶ。マデと奥さんとラトゥナも相互に「マデ」と呼び合っている。それで混乱している風はない。呼ぶ時の気持ちで、ちゃんと伝わるのである。名前なんてそんなに大した問題ではない、ということがよくわかる世界である。
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