2009年6月29日月曜日

004 クブ


API-APIの管理人マデの解説では、「クブ」というのはバリ語で「小屋」のことを意味する。
小屋のうちでも、農作業のための休憩小屋や水の見張り小屋を指すらしい。これに、牛や豚、鶏を飼っている小屋もクブの範疇にはいるようだ。



典型的なクブは、まず畦道の脇に2本の木を2~3メートルの間隔に植える。スレンまたはダプダプの木が多く使われる。いずれも幹が太く、人の背丈を越えたあたりで枝を張る。次に、その木の幹に梁をわたしてバナナの葉か茅で葺いた屋根を支える。下の方には、竹でできた桟敷を固定する。桟敷の上には、ヤシの葉で編んだカーペットかボロキレが敷かれていることもある。

クブは、お互いに100メートルか200メートル離れて、田圃の中に点々と設けられている。おそらくそれが、ちょうど一休みしたい時に苦痛に感じないで行ける距離なのだろう。
1枚パノラマ写真を撮ると、5つも6つも視野に入れることができる。どれも同じように見えて、それぞれ個性がある。総じて、とても可愛らしい。



私の調査では、クブの形式や配置のしかたにはバリ島の中でも微妙に地域差が存在する。例えば、東端に近いスラヤ山とアグン山との間の鞍部に当たる地域では、緩やかな棚田の広がりを眼下に見下ろせるポイントがたくさんあるが、ここのクブはとても整然と配置されていて美しい。形も、きちんと2本の木で支えてあって、正統的様式に忠実である。奇遇にも、このすぐ北の海岸に、「クブ」という名前の街がある。

これに対して、島の西側で同じように水田の多い南岸地域では、クブの密度がばらばらで、あるところでは接近しているかと思うと、ほかではしばらく見えなかったりする。形も支えの木が1本だったり2本だったり、もはや生きた木ではなかったりと、様式が崩れている。

西から東への伝播過程で洗練されたのか、あるいは逆に東から西への伝播過程で撹乱が起こったのかはわからない。昔は一様にしっかりしていたものが、西と東とで異なる変化を辿ったのかもしれない。

時々、クブの桟敷の上で昼寝したり、座ってぼうっとしたりしている人を見かけることがある。クブは、バリの広い空とのどかな風の象徴である。

さて、ウブドゥという町の町外れに、「クブク」という名のカフェがあった。終りの「ク」はインドネシア語で「私の」という意味の接尾語である。従って、「クブク」というのは、バリ語とインドネシア語のチャンポンで「私の農作業小屋」ということになる。

ウブドゥは、森の中の芸術観光の町。オランダの植民地時代にヨーロッパやアメリカ大陸から様々な芸術家がここを訪れ、バリ固有の美術や舞踊が西欧文化と出会う中で華やかに止揚された。いまも、大勢の外国人観光客がひしめいている。
街路沿いは、レストランか土産物店かギャラリーか両替店かツアーの案内所でなければ、ロスメン(簡易ホテル)かコテージホテルで、それ以外のものを探すのが難しい。

その中でも一際賑わうモンキーフォレスト通りは、車の離合がやっとの狭い通りだが、沿道には木彫りやバティックや絵画などを売る店がぎっしり張り付いている。路上には、それらの店を梯子して行く観光客と、彼らを案内したりからかったりするためにたむろするバリの若者達と、その間を散歩する野良犬たち、さらにそこをかきわけながらクラクションを鳴らして走るジープやワゴン車の列。それらがお互いにもつれあいながら、ウブドゥのセンターからまっすぐ南に伸びている。

1km近く南下して店もまばらになり、喧噪も遠ざかったあたりで、通りはその名のとおりモンキーフォレストに突き当たる。そこで左に折れる道なりに進み、餌付けされた猿の群が住む丘を右に見ながら小さな谷をひとつ越え、隣の尾根筋に上がった所にそのカフェはあった。

クブクは、なかなかワイルドなカフェであった。入口から邸内の茂みを突っ切ると、奥に鰻の寝床のような桟敷席があって、それが客席。壁はない。柱も梁も太い竹で組んであって、茅葺きの屋根が乗っている。まず、その粗末さに圧倒される。履物を脱いで桟敷に上がり、クッションに寝そべって飲み物をいただく。

前に見えるのは一面に広がる田圃だけである。それが農繁期だったりすると、すぐ目の前で仕事中の農夫がうろうろしている。この桟敷に寝ころんでいると、自分も農作業の合間にマンゴジュースでひと休みしているような気になる。
これで、一風変わった店の名の由来がわかる。穴場として外国人に大変人気があった。

この店のオーナーはイ・ワヤン・スジャーナという当時30代後半のバリ人。彼は、田園風景がお金になることをよく理解していた。日本でグリーン・ツーリズムのかけ声を聞くたびに、あの頃のスジャーナのクブクを思う。

過去形で言ったのは、実は10年数年も前のことだからである。その後クブクは、オーナーが変わり、拡張工事によってワイルドさがすっかり失われてしまった。人気が出るとろくなことはない、と思っていたら、とうとう最近なくなってしまった。周辺にもあれよあれよという間に新しい店が立ち並び、町外れというよりも、もうウブドゥの町の一部となっている。この辺りの市街化の速度には、驚くべきものがある。

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