API-APIの隣にカフェをつくった。本体が完成してから数年後のことである。
カフェは、ウブドゥの「クブク」(004回参照)を見習って、ライス・フィールド・ビューが売り物である。
客席に腰掛けて田圃を眺めると、その中を遥か向こうからのんびり蛇行して近づいてくる一本道がよく見える。
これは、網を張るには好都合だ。一本道を汗びっしょりになって歩いてくる観光客が見えると、見張りが「タムー、タムー(客だ客だ)」と叫ぶ。
それを聞くと、うちのお手伝いさん兼カフェの看板娘のヌンガが道に飛び出して待ちうけ、ニコニコしながら声をかける。
「ウェア アーユー ゴーイング?」
これで、3組のうち1組くらいはカフェに引っぱり込むことができる。こうやって蜘蛛助みたいな客引きをするのは、なかなか楽しくて、皆が交代で見張りや連れ込み役を引き受けては、成功する度に万歳を三唱した。
隣村のカティック・ランタンに巣を張り、客を騙してつまらない絵を法外な値段で売りつけているニョマン(015回参照)の気持ちが、少しわかる。
こういうカフェに寄る客は、まずは地獄に仏を見る思いでコールド・ドリンクをむさぼり飲む。
それから、安堵感のためなのか、そもそも好き者でないとこんな店には立ち寄らないということなのか、来る客はひとり残らず話し好きで、社交性に富んだ人たちである。
カフェ・アピアピの栄えあるお客第一号は、奇しくも日本から来たYさんという男性だった。当時49歳。ひとりで、「たまには中央線に乗って高尾あたりでも散策してみるか」といった軽い出で立ちでひょこひょこやってきた。
ところが実は、あてもなく日本を出てもう1か月になるのだという。
まずバンコクに行って、チェンマイ経由で中国の雲南省に入り、また再びタイに戻って、そこから直接バリにたどり着いたばかりとのこと。
空港に降りたってすぐタクシーに乗り、まっすぐウブドゥに来たというから、なかなかの通かと思ったら、バリははじめてだという。1か月の間に、随分鼻が利くようになったらしい。
バリの後は、ネパールに行ってみたいとのことだった。
一体どういう仕事かと伺うと、会社を辞めて失業中の傷心旅行なんですよ、とさびしそうに答えたこの人も、実に話しの好きな人だった。そうですか、私が最初ですかと感激してくれた。マデの話しによると、Yさんはその後も何度か寄ってくれたそうだ。
二組目にやってきたのは、オランダから来たカップル。ソウル生まれで、コンピュータシステムのコンサルタント会社の技術者という好青年と、その彼女と思しきオランダ美女。
ココナッツ・ジュースが飲みたいという。
メニューには用意してなかったのだが、さっそくヌンガが台所に走っていったと思ったら、程なく椰子の実にストローを突き刺したジュースがふたつ、お盆に乗って出てきた。
よくあったな、と聞いたら、ちょうど仕事を終えて休憩していた左官職人をつかまえて、実をとってもらったのだという。値段のつけようがないので、オープン記念のプレゼントだというと、逆にオープン記念にといって1万ルピア置いていってくれた。
マデはそれを見て、「いつも『ジャスト・オープン』だと言いましょう」と喜んだ。
うちの客はあまりメニューを気にしない。メニューにあろうとなかろうと欲しい物を注文する。
この後でやってきたイギリス人は、マンゴーを所望したそうだ。これは、やはりヌンガが機転をきかせて、村のワルン(よろず屋)に買いに走ったらしい。
3日目にやってきたトロントのインテリア・デザイナと、その後に来たドイツの若いお医者さんは、それぞれトーストとジャッフルを食べていった。これは客にも作る側にも好評だったようなので、後でメニューに追加した。
開業当時の話しをしたのは、実はこれが最盛期だったからである。
メニューにないものは無料にしてしまうし、マデがオーストラリア人の観光ブローカーに丸め込まれてほとんどただ働きさせられるし、といったようなことがあって、全然ビジネスにならなかったようだ。ひょっとしたら、旅行会社をはじめたP氏(010回参照)のような振る舞いもあった可能性がある。
何年かは営業していたものの、そのうち、飽きてしまったのか、いつのまにかうやむやになって、いまはとうとうトイレつき無料休憩所となってしまっている。
でも、眺めがよいし、道からちょっとはいっているせいで落ち着くので、朝ご飯を食べるときに使ったりしている。
ウブドゥに行かれることがあったら、ぜひお立ち寄りいただきたい。ペネスタナンのカフェAPI-APIといえば、わかると思う。たぶん。
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