マデの実家の隣の青年が病気で亡くなった。21歳ということだった。
3、400人の村人が集まって、お葬式を行う。厳密にいうと、仮埋葬のためのお別れの儀式で、そのうちに再度掘り出して火葬を行う。そのうちに、というのは、何人分かまとまったとか、火葬のためのお金ができたとか。
集まった人たちは、いずれも上半身黒っぽい恰好をしている。下はあまり派手ではないものの、様々な色のサルーンを巻いて。男は黒っぽいTシャツが多い。半分位は、M氏の第3婦人が亡くなった時に彼が支給したTシャツである。山車をかついでいる人々の絵と、M氏の名前がプリントされている。他は、様々な絵柄のシャツ。立派な鷲の絵や極彩色のスポーツカーがいる。
若者の遺体は、家の庭にこしらえた竹製の台の上に安置されている。炎天下だ。空は抜けるように高く、青い。大勢の人たちが遺体のまわりに群がって、それぞれが手で触りながらお別れをしている。その側で横を向いてタバコをふかしているのや、あくびをしているのがいる。背伸びをしてのぞくと、そのうちの一人の青年と目が合った。
「よお、来てるの?!」
と笑って、遺体に触っていない方の手をこちらに振った。
泣いている人はいない。その他大勢は、まわりに適当にたむろして世間話をしている。知り合いのリンタさんの弟というのが私をみつけてやってきて、あいさつがてら、彼が15年前に2か月間滞在したことのある神戸と、我が広島との地理的位置関係に関する考察を中心に、ひとしきり歓談していった。
午後1時過ぎという灼熱の日差しの中で、もくもくと儀式は続けられていた。しきっているのは、パヤンガンの近くの村のイダ・バグースと村のマンクさんである。このマンクさんはいつものガルンガンで見る2人のマンクさんとは違う人だ。聞いてみると、お葬式のときだけの特別のマンクさんとのこと。
お祓いやお清めの様々な段取りを経て、遺体は純白のシーツで包まれ、竹で組んだ担架に載せられた。それを4人がかついで進む後を、一隊のガムランが賑やかに追い、参会者全員がぞろぞろと埋葬墓地までついていく。
すでに掘ってあった穴に、遺体を納める。太い竹の節を上手に抜いて、顔の所に立てかける。死者が息苦しくないようにとの心遣いだろう。
みんなで少しずつ土をかけ、その後を2人の男がクワとスコップで手際よく埋めて仕上げる。その上に、付近の雑草をマット状に剥いでおいたものを、近親者がてんでに持って積み上げる。終わりに銘板を立てる。これで一応終わり。
清めの水を手と頭にいただいて、一度家に戻る。帰ったら、まず台所にちょっと寄りなさいといわれた。台所にはブラフマンがいるので、浄められるのだという。
ちょっとしてから、再び墓地に帰ってくると、すでに人は誰もいなかった。
静かな草むらの中に、新しくマウンドアップしたところで、どこかの犬がお供え物をむしゃむしゃ食べている。墓碑に近づいて読む。凝灰岩の一片に釘で
「20 10 xx クトゥ・スプリが居ます」
と刻印してあった。
タバコを吸っていた奴、あくびをしていた奴、にこやかに手を振った青年、リンタさんの弟、仲間を失った彼らの胸中は、われわれエトランゼには測ることができない。