バリ・コピ(バリのコーヒー)をいただきながら、彼の話しを聞いた。
「わたしは、この家の住人でバグスといいます。小学校の算数の先生です。先生の給料は本当に安い」
と、ぼやいたあと、話題は日本のことに移った。
「以前、2ヶ月ほど日本に行ったことがあります。輸出入をやっている日本人のミスターHが招いてくれた。神戸を拠点にして、東京や京都や奈良や、そうそう広島にも行った。日本料理はまずいので、青山や芦屋のインドネシア料理店によく行った。すご~く高いね。おどろいた。でも、ミスターHが全部払ってくれた。
ミスターHは、この家にも2度来たことがある。彼はカナダにも家を持っていて、東京には研究所を・・・」
えっ? ミスターHのフルネームは何ていうの? と聞いたら、わたしでも知っている高名な商業プランナーの名前を告げてくれた。そりゃすげえ、と喜んだら、バグス氏は家の中から、よれよれになったグラビア本を持ち出してきた。昭和56年発行で、H氏編とある。その中の1ページに、若いバグス先生がちゃんとバリの正装をして、笑いながら写っていた。
H氏には面識がないが、後日、そのパートナーだったM氏にたまたま福岡でお会いする機会があったので、そのことを話題にしたら
「ああ、あれはおれがHを連れて行ってやったんだ。バグスも、おれが世話をしてやったんだ。元気だった?」
という話し。世間は本当に狭い。
そういえば、API-APIの建築主任の知り合いの家を訪ねたときに、その家の長老グスティ・グデ・ラカ氏が語ってくれたイサム・ノグチの思い出話しも興味深かった。
「うちに、日本人の彫刻家がときどき来ては逗留していた。頑固で乱暴なやつで、ほかの外国人とよく喧嘩してわたしを困らせたもんだ」
と、目を細めながら話したあと、
「しばらく来なかったんだが、この前久しぶりにふらりとやってきて、自分の作品集ができたと言ってこの本を置いていった」
というその本を見せてもらうと、イサム・ノグチの作品集で、表紙の裏にご本人のサインがはいっていた。1985年4月23日の日付がはいっている。この前というのが、1985年というのもすごいが、これはノグチ氏の亡くなる3年前、彼が81歳の時のことである。このお話しには、いろいろと感銘を受けた。
API-APIの近くに、リンダ・ガーデンという広大なお屋敷があって、リンダさんという英国女性がそこに住んで竹の家具を製作している。
ある年、ここでバンブー・コングレス&フェスティバルをやるというので出かけてみた。屋敷内は竹づくしで、家から橋から野外ステージまで、あげくのはてにアトラクションのブラスバンドの楽器まで竹でできているのには感心した。
世界中から大勢の人が押しかけていて、大盛況であったが、彼女が招待した顧客のなかに世界的有名人がたくさんいて、当時のゴア米副大統領とミュージシャンのデヴィッド・ボウイが来る、といううわさであった。
彼らが本当に来たかどうかはわからなかったが、考えてみると、日本では家の隣にゴア氏が来るなどといううわさは、たちようがない。
ウブドゥは、つくづくすごい所である。
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