2009年7月16日木曜日

019 ウブドゥは世界の銀座の巻


マデの実家は、村の中心部にある集会所から集落内にはいっていく道の途中を折れて、さらに狭くなった坂道の路地を少し上ったところにある。道の両側は、ずっと土壁が続いていて、各家に一ヶ所ずつ門がある。
門は、道から何段かの階段をあがるようになっていて、敷地は道よりも1mかそこら高い。おそらく、スコールの時には路地が川になるのだろう。

それぞれの家の敷地はやはり土壁で仕切られていて、門をはいったところにヒンズーの神様をまつった祠(サンガ)がある。石でできていて、日本風の感覚からは屋敷内墓地かと思ってしまう。いつもそのまわりにお供えがちらばっている。

お供えは「チャナン・サリ」と呼ばれていて、ヤシの葉でつくったおよそ10cm四方のお皿に、お米や花びら、砂糖菓子などがいれてある。

神様はいたるところにおられるので、たとえば通路が交差している場所とか、水に関係する場所とか、出入り口とか、車の運転席とか、もちろんこのサンガの周辺とかに毎日お供えする。

お皿をつくるのと、お供えするのは、主に女性、とくに女主人の仕事らしい。
API-APIでも、毎日女性たちがせっせとお皿をつくり、マデのお母さんが決まった場所に配ってまわっている。片ひざをついてお供えを置き、線香の煙を手のひらで揺らがせ、その手をかざして静かにお祈りをすると、次の場所に移る。

チャナン・サリは、それでもう役割を終えるらしく、後は顧みられない。誰かが踏んづけようが、蹴飛ばそうが、犬が食べちらかそうが、まったく無関心である。
決まった場所はたくさんあるので、いたるところにゴミになったチャナン・サリがちらばっている状態になる。バリの土は、ひょっとしたら歴代のチャナン・サリでできているのではないか、と思われるほどだ。

さて、屋敷の構成の話に戻る。
サンガの奥に、館がたくさんある。木造だったり、竹製であったり、ブロックにモルタルを上塗りしてペンキを塗ったつくりであったり、いろいろだが、なかにはタイル仕上げの壁のこともある。総じて、ひんやりして涼しそうなコテージである。ここに、どういう仕分けになっているのかはよくわからないが、一族郎党が分住している。多い家では、2~30人もいるらしい。

バリの人たちを見ていると、おもしろいことに、決まった時刻に集まって食事をする、という習慣がないようだ。家にこんなにたくさん人がいるというのに、そのうちの何人かでもがテーブルについて、「いただきま~す」などとやっているのは、見たことがない。
おなかが空いたら、適当な場所で適当に食事をする、という感じのようだ。
それで、いつもどこかの片隅で、だれかがお皿を抱えてなにかを食べている、という光景にでくわすことになる。
どこかの家にふらっと立ち寄ったときの、相手の挨拶は、それが2時であろうと3時であろうと

「スダ マカン?」

「ご飯食べた?」である。まだ食べていない、と言うと、食べさせてくれる。みんなそうやって、よその家でご馳走になっているのかどうかは知らないが、少なくともマデがAPI-APIできちんと定刻に昼食をとっている姿は、あまり見かけない。

と、話しが横道にそれてしまったので、表題のお話しは、次回につづく・・・・・


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