日本の船の1級ライセンス(小型船舶なのだが)をもった人が操船してくれることになったので、クルーたちは大喜びでクモの子を散らすようにいなくなってしまった。
遊びに行ったのである。
その後のコックピット内の様子。
まず、船長はマクルフ氏である。この人は、出航後ずっと部屋の隅の床に敷いたゴザの上で眠りこけていたので、とうとう話しをする機会がなかった。入港時に気が付くと、いつのまにかきちんとキャプテン・チェアに座って、それなりにボスの格好をつけていた。
わたしに操舵輪を委ねたイスミアルト氏は、部屋の中をあちこちしながらだべったり、お茶を飲んだりして過ごしていたが、途中、外のデッキ上に10人ほどの米国人青少年グループがあられもない様子なのを発見して、はしゃぎながらカメラで撮ったり、からかったりしていた。
彼らは、くそ暑い甲板の上で、男女ともほとんど半裸になって、いちゃついていたのである。
それでもイスミアルト氏は、必要な時にはひょいとわたしの傍らに現れて、
「はい90°」
とか
「はいこれから105°」
とか適切な指示をして操舵手としての責任を果たし、また彼のレクリエーションに戻っていくのである。
ルンバル港に入る直前、わたしと交代してからは、まるで人が変わったような真剣な目つきで、石の崩れかけた相当ワイルドな岸壁に、機関操作だけで巧みに接岸した。さすがプロである。
背が高くておしゃれなアルヤ青年は、船員のはずだが、結局何の担当かはわからなかった。最後まで女の子とおしゃべりしたり、大きな声で楽しそうに歌を歌ったりしていただけで、船の用を果たしている風がなかったからである。
時々、私のところにやってきてコーヒーを勧めてくれた。この船の来歴も彼が話してくれた。
アルヤ青年の相手をしていた女の子はハルティニ嬢である。彼女は乗客のひとりでどこかの公務員だそうだが、船が出るなりコックピットに入ってきて、いきなり着替えをはじめたので、わたしが最初に注目した人である。
着替えはイスラムのお祈りのためであったが、それが終わった後も彼とふざけあって、最後までそこで過ごした。
ハルティニ嬢以外にも、20畳はあろうかという広いコックピット内ではいろいろな人が遊んでいて、お茶を飲んだり歌を歌ったり、カードをしたりしている。そのうち何人かは正規の船員らしいが、いったいどれがこの船のクルーだったのかは、上の3人以外にはとうとうよくわからなかった。
わたしにときどき近づいてきて、コンパスに触れようとする人がいたので、そうかなと思ったら、ただの乗客だった。コンパスの台座の途中に、かつては何かの装置がつけられていたらしい孔があって、そこに灰皿が置いてあったのである。
船は、水深2千メートルはあるというロンボク海峡を、わたしの操縦で一路東に航路を保った。幸いにして波静かな日だ。最初は全く他の船に出会わず、ひたすら大海原を進んだが、しばらく行くと右手前方にうっすらとヌサペニダの島が、正面にはもっとうっすらとロンボクの山影が見えてきた。
そのうち、こちらに向かってくるフェリーに会った。「確か、右側通行は世界共通のはず」と緊張しながらすれ違う。すれ違いながら、向こうの船の窓が見えた。手を振っているのがいる。こちらのコックピット・メンバーもきゃあきゃあ言いながら手を振っている。
日本から5千キロ離れた海峡に来て、この天真爛漫なクルーたちと大勢の乗客と、眠りこけた船長と、それにトラックや乗用車を満載して、わたしはコンパスとにらめっこしながら、ひとり緊張してラダーを握り、550トンの船を進めた。
ロンボク海峡を渡りたいという人がいたら、ぜひフェリーで行くことをお奨めする。
乗船したら、一番上の甲板に進んでコックピットを覗くこと。それに、船舶免許をあらかじめ取得して携行し、それをちらつかせること。
フェリーの高い艦橋の上から、自分で船を動かしながら見る、ロンボク島の海岸は絶景である。とくに、入り江の中をルンバル港に向けて静かにアプローチしていく途中、両岸のマングローブ林と、その中に点在する民家のたたずまいを眺めていると、地球への愛しさがどっとこみ上げてくる。
たとえ、港を降りたとたんに警察が待っていて、その場で逮捕されたとしても本望だ、という気分になる。
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