バリ人は、何階層もの社会集団に属している。
これは、おそらく世界中そうだろう。会社の仲間、町内会、××組合、親戚づきあい、公民館のサークル、など、考えてみればそれらが複雑に入り組んで身の回りの社会を構成している。
バリの場合はどうか。
まず、慣習村といわれるものがある。これは宗教的集団でもある。慣習村は、複数のバンジャール=集落共同体で構成される。
例えば、ウブドゥ郡のなかの行政的な村であるサヤン村には、いくつかの慣習村が含まれるが、そのうち、ペネスタナンという慣習村は、ペネスタナン・クロッドとペネスタナン・カジャというふたつのバンジャールでできている。
慣習村ペネスタナンは、それぞれ役割の異なるワンセット3つの寺を共有し、お祭りなどは、慣習村として行う。いっぽう、さまざまな日常生活上の必要、たとえばいざこざの調整などは、それぞれのバンジャールの中で共同で処理している。最終調停のために、人望のあるマンクさん(お坊さん)がバンジャールにいる。
API-APIの近くで突然大蛇が出現し、上を下への大騒ぎになったときも、いち早く伝令がマンクさんへ飛んだ。「それは、森の守り神ではないから、殺してもよい」という裁定をもらって、きゃあきゃあ逃げ惑いながら、とうとうみんなで叩き殺した。「近所にこんなのがいるのか」と驚くと同時に、マンクさんの裁定の重みにも感心したものである。
マデによると、彼はもとはペインター(絵描き)だったがある日突然目覚めて僧侶になったという話しだ。私が初めて会った時は38歳ということだったが、いかにも威厳があって、60前としか見えなかった。20歳近く若い奥さんがふたりいる。
ちなみに、ペネスタナン・クロッドの人口は約千6百人で、バンジャール・メンバー数は336人ということだから、日本でいえば世帯主がメンバーということだろう。
マンクさんのほかに、「村長」さんが役割や任命形態に応じて複数いるらしい。その仕事場も、役場であったり自宅であったりするらしい。身分証明書をもらうのに、あっちの村長さんでなくて、こっちの村長さんだとかいう、ややこしい話しがあって、結局よくわからなかった経験がある。
バンジャールのほかに、スバックという、日本で言えば水利組合にあたる組織がある。スバックは、耕地の所有、管理を行う。
バリ島全体は、アグン山とその周辺の火山が作ったなだらかな裾野でできていて、そこを小さな川が幾条も放射状に流れ下る。その谷は、狭く深い。
集落は尾根に沿って立地し、尾根から渓谷の斜面にかけて棚田が開墾されている。棚田は、ところによると2~3メートルほどの幅しかない精緻なものだ。いわゆる千枚田である。黒土を使ったほとんど直壁に近い土破で、なめるように手入れされている。ライステラスは、バリの観光資源でもある。
中に、電線がのたうちまわっていないのがよい。
川は集落や水田のずっと下を流れているので、利水のためには、はるか上流から細い水路を延々と引いてこなければならない。当然、水田への水掛りの順番や権利の関係は微妙でかつ死活問題でもある。
したがって、このスバックの結束と権力は大変強いらしい。時々、高々と固有のエンブレムを掲げたスバックの事務所を見かけることがある。
そのほかの社会集団といえば、前にふれた集落内の土塀で囲まれた大きな敷地で営まれる居住単位は、父系の親族集団である。それから、たとえばコーヒー摘み組合、舞踊集団など、目的をもって結成された任意の私的集団がたくさんあって、集会所ではしょっちゅういろんな会合が開かれている。
バンジャールの集会所は、バライ・バンジャールという。たいてい幹線道路に面して設けられていて村のへそになっている。昼間でも必ず何人か人がいる。
床の段に腰掛けてぼうっとしていたり、ぼそぼそ話しをしていたりするが、いったいあれは何をしているのだろう。
バンジャールの入口には必ずバリ特有の「チャンディ・ブンタル(割れ門)」があって「ようこそ××村へ」と書いてある。出口にも「ごきげんよう」の割れ門がある。バンジャールの境界ははっきりしているし、住民の帰属意識は大変強い。
バリ州の観光局の幹部にお会いして話しを聞いたことがある。
最近の観光入込客数では日本人がオーストラリア人を越えて第1位になったとか、バリ島の主な地域では高さ15m以上の建物は原則として禁止されている、なぜ15mかというとそれが標準的な椰子の木の高さだからだとか、そんな話しを聞かされてから、「バリの観光行政で最も大切なことは何ですか?」と質問した。それに対する彼の答えは
「バンジャールを守ることです」
というものだった。
バリの観光資源は伝統文化と田園の風景である、それを守るのはバンジャールの団結である、というわけだ。