2009年7月8日水曜日

013 ジャワ人アサの場合


村人のアサは、大工さんである。皆はバッパ・アサ(アサおじさん)を訛って「パッソー」と呼んでいる。日中はどこかの現場で働いている。

API-APIを着工する前に、せっかくだから工事をやらせてほしいとうちの建築主任に頼んだらしいが、これは断られたのだそうだ。この話しは相当後で聞いた。
家の完成後の補修仕事は、アサによく頼んでいる。処理が悪くて白蟻に食われた柱の付け替えや、これまた雨仕舞が悪くて腐りつつあった建具の取り替えなどの大工事も、管理人のマデが彼に相談して進めた。

アサはマッサージがすこぶる上手い。これにかけてもプロだ。夜は村の人に頼まれてあちこちでマッサージをしている。大工とマッサージで貯めたお金で、最近プラ(お寺)の前のワルン(村の中にあるよろずや兼飲食店)を買い取って、その営業も始めた。以前から村人の溜まり場になっていたワルンである。私もときどきここで昼食を食べる。

マッサージを頼むと、夜9時だろうが10時だろうが快くやってきて、足の先から頭のてっぺんまで入念に揉んでくれる。オイルを少し使って、およそ1時間半程度のコースである。揉んでいるまわりに、マデやマデの父親のバッパや義弟のニョマンやお手伝いのヌンガ(024話参照)が集まってきて、みんなで世間話をする。揉まれている私をカモにして、インドネシア語を中途半端に教えては、皆で笑い転げたりする。

傍らのバッパとアサとがこんなやり取りをしていた。

「○○はバリ語では何というか?」
「××はジャワ語では何というか?」
「マドラ語では?」
「ふむふむ、なるほど」

といった調子。この会話をインドネシア語でやっている。
よく聞くと、アサはここのネイティブではない。ジャワ島の東端の町の出身で12年前にバリ島のサヌールに来て、6年前にこの村に移り住んだ。だからジャワ語は自分の言葉である。

バリ語とジャワ語とは、それでも似ている所があるらしいが、インドネシア語はそれらから見ると全くの外国語である。マドラ語もそうらしい。同じ村人同士が、世間話をしながら、お互いのふるさとの言語を、またそれとは違う言語を使って教えあっている。大いに奇妙な風景だ。
こういう環境だから、例えばバリ娘のヌンガが日本語や英語の腕をメキメキ上げているのも、なるほどと思う。

アサが帰ってから、彼はいったい何歳かとバッパに聞くと、彼はジャワ人だからそういうことは尋ねたことがない、という冷たい返事が返ってきた。

ジャワ人はバリ人から、日常的にも一線が画されているようだ。
イスラム教徒だから、当然バンジャール(村落共同体)のメンバーではない。しかし、バンジャールには宗教以外の役割もあるので、毎月5千ルピアを負担している。そのかわりにバンジャールの使役などの義務は免除されているのだそうだ。

ただし、敢えてメンバーになろうと思えばなれる。現にマデの奥さんのお姉さんの旦那さんのスギオノは、やはりジャワ出身のイスラム教徒だが、バンジャールのメンバーだそうだ。なかなかややこしい。

こういう話しを、バッパは極めて物静かに語ってくれる。その語り口の中に、バンジャールの誇りがきらきらと光っている。そのきらめきは、アサのような部外者に対しては冷徹なバリアでもある。バリは、決して脳天気に朗らかなだけではないのだ。


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